【豆知識】北海道は、なぜ「県」ではなく「道」なのか、名前の由来を説明

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道産子(どさんこ)でも北海道が、なぜ「道」なのかということは知らない人が多いですよね。筆者も生粋の道産子(どさんこ)ですが、知りません。

これはまずいと思い、調べましたので皆さんにもご紹介します

北海道という土地の呼び方の変化

北海道という呼び方になるまで、北海道という土地の呼び方はいろいろ変わっています。

  • アイヌ語で「アィヌモシィ(人間の住む土地という意味)」
  • 蝦夷地(えぞち)(蝦夷=アイヌの人のこと)
  • 北海道

そもそも最初は北海道は日本という認識はなかったんですねぇ。ちょっと複雑。。。。

元々北海道に住んでいたアイヌの方々は「アィヌモシィ(人間の住む土地という意味)」と呼んでいた。アイヌ民族は、それぞれの土地の名前に意味をもった呼び方をつけているのが特徴です。

北海道の名前の歴史

北海道という名はロシアからの進出などの脅威に対抗するために「ここは日本ですからね」と主張するため考えられたと言われています。

それが江戸時代末期ですから結構昔です。ただ、当初は蝦夷地から違う名前に変更するのは実現しなかったようですね。

その後、明治時代になり開拓使の設置に伴い名称変更が再検討されることになります。

開拓使とは、北海道を本格的に切り開いていくために作った行政機関のことです。明治になると「開拓」も国の使命だと考えられて積極的に行ったようですね。この時期に樺太(からふと)の開拓もしています。

北海道という呼び方の由来と命名者

名称変更を再検討していたときに案を提出したのが「松浦武四郎」という人物。蝦夷地の探索を多数行っており、アイヌとの交流が深かった人物です。松浦は6つの案を出しました。

  • 日高見(ひだかみ)
  • 北加伊(ほっかい)
  • 海北(かいほく)
  • 海島(かいとう)
  • 東北(とうほく)
  • 千島(ちしま)

上記の案に、当時の律令制である五畿七道(ごきしちどう)に類した「道」という字をあてて「北海道」と呼ぶことにしたとのこと。

これが1869年(明治2年)であり、この年の8月15日に太政官布告(だじょうかんふこく)で定められました。

参考文献:北海道ホームページ「北海道」の由来参照、『新北海道史』第3巻通説2

律令制とは、中国唐朝の律令を取り入れた法体系で、国家制度や統治制度のことをいいます。645年に作られ、いろいろ変更や形骸化をへて1885年(明治18年)に廃止するまで使われていた法律です。

五畿七道(ごきしちどう)とは、日本を統治しやすくするために分けられた区分のこと。都道府県の江戸時代バージョンと思っていただくと簡単です。五畿(山城の国、大和の国、河内の国、和泉の国、摂津の国)と七道(東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道)のことです。

地名と行政区画が同じ呼び名は「北海道」だけ

明治に名付けられた「北海道」という名は、地名として扱われていました。そのため、地方行政官庁は「北海道庁」と呼んでいたんですね。

なので、東京府(当時は府でした)、青森県、などと同じような呼び方をするには「北海道庁」と呼ぶ必要があったんです。(今の時代の「北海道庁」との意味合いも違いますから注意してくださいね)

その後、法律改正を伴い北海道庁と呼ぶことはなくなり都道府県の「北海道」が生まれたんですね。

なので、京都府は「京都」、秋田県は「秋田」、福岡県は「福岡」など、地名と都道府県の呼び方には違いがあるのが通常です。しかし、北海道だけは都道府県名も地名も「北海道」という同一名がつかわれるんですね~

役所や銀行などで住所を書くときに「北海」と書いて「道」に〇をつけるのはこれが原因です。道産子の私もやっと納得がいきました。

北海道の中に府や3件があった時代

北海道という名前が生まれる前は北海道のほとんどが蝦夷地とよばれていました。松前あたりは松前藩の管轄、函館あたりは箱館奉行管轄だったんです。

その後、松前藩は館藩(たてはん)と名前を変えたのち、館県となり、一時的に弘前県所属(いまでいう青森県)になりました。最終的には北海道に戻ってきて函館に吸収されます。

箱館奉行所は箱館府になり、一時的に箱館県と名前を変えます。その後、開拓使が作られ、開拓使が廃止された廃使置県では、北海道は函館県、札幌県、根室県の三つに分けられることになります。

しかし、広大な土地を統治するためには三つに分けるのは不合理という意見が出て、結局北海道一つに戻っているんですよね。

北海道内を県で割ることは議論されている

北海道という土地は非常に大きいですよね。九州の倍の大きさがありますし、四国の約4倍の大きさがあります。

にもかかわらず北海道は知事が一人です。九州は7県あり知事は7人、四国は4県あり知事は4人ですよね。

広大な土地を整備するには、複数の知事が必要なのでは?というような考えから2015年に「北海道分権研究会」というものが発足され以下のような案を検討していたそうです。

<第1案>
道央、道南、道北、道東と4つの県をつくる

<第2案>
道央、道南、道北、オホーツク、十勝、釧路、根室と6つの県をつくる

ただ、盲点がひとつ。土地は広大でも人口が少ないんですよね。北海道は札幌に人口が集中しすぎており、他は人口密度が低いんです。

人口が少ないということは行政が成り立つほどの財源が確保できませんから、北海道内を県で分割するというのは実現していません。

まとめ

道産子でもあまりしらない北海道という名の由来。そして、県設立にむけた検討があったなんてほとんどの人が知らないと思います。

ちょっとした豆知識として知人にご紹介するのもいいでしょう

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